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    一度房一は家中の眼をぬすんで一人で馬を引き出したことがある。彼は馬小屋の壁の横木によぢ登つてそこから馬に乗らうとしたが届かなかつた。考へた末に木箱を幾つか探して集めてそれを段々に積み重ね、その上から馬の背に渡らうと試みた。それはうまく成功した。馬は彼にとびつかれて始めは驚いて二三度首を振つたが、彼が次兄の日頃やる通りの真似をして落ちついて、短い足で何度か蹴ると、馬は思ひ出したやうに足を踏み出した。

    「あれだね、君は見かけによらない――親思ひなんだね!」

    そこへは、案内も乞はずに、小谷吾郎が気がるに裏口から入つて来た。

    「さうだつてねえ」

    「馬子まごにも衣裳つて云ふから――」と云つたほどである。

    ――「やあ、おいでなさい。わたし相沢です」

    閑静で温泉もあるという家は売家だから住めない。貸家の方はたいがい山の上の温泉のない家で、ぜひ住んでくれないかと云ってきた空別荘も、景勝閑静な山荘であったが、温泉がなかった。

    「あら!いらつしやいませ。ようこそ。――ほんとうに、よくまあ!」

    男はまだ立つて、あの話を持ちかける構へといつた風を持していた。

    徳次は又ぐらりとした。

    「え、何だつて、徒歩てくで通るかつて?」

    半シャツの男が進み出た。

    小谷の話で、徳次はすつかり興奮したらしかつた。そのきよろりとした眼はすつかり開けひろげられ、一種上うはずつた色が動いていた。何となく落ちつかない様子で上半身をぐらりとさせ、無意識に片腕を振り降した。そのはずみにひよろ長く生えた雑草に手を伸して引きむしり、それを口にくはへた。

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